追伸、@ats様

お返事を頂いたので返信いたします。


GMは新しい技術で,GMによって生み出された作物の影響はよく分かっていないので気をつけるべき,という意見は心情的にはよく分かる。ただ,世の中に出回っている品種は,かなりのペースで品種改良されている。つまり,我々は常に未知の遺伝子を持つ作物を摂取しているわけである。この種の遺伝子や作物が引き起こす影響について,GMと同様に警鐘を鳴らす人をほとんど見かけないのは何でだろう。

これは両方共に警笛を鳴らすべき問題だと思います。人体への安全性についても問題ですが、新たな生物種が生態系に放たれてしまう「外来種問題」があるからです。密室での実験なら問題ないのですが、いったん生態系に混入してしまった外来種を取り除くのは極めて困難です。マングースやアライグマのような大型の動物ですら取り除けないのですから、植物となるともはや絶望的です。

人体への安全性についても、検証期間があまりにも短いと思います。発がん性や子孫への影響は十分に追跡されているでしょうか。


「自然のものの方が安全だよ」っていう主張についてはこう言っておく。自然は,人間という特定の種のみに利するようなことは決してしない。自然は全ての種に平等に無慈悲である。20代のころ日本中の川をカヤックで下って,さんざん死ぬような思いをして,僕はそう考えるようになった。

カヤックが危険なのは人間が水棲動物でないからだと思いますが・・・。

横にそれましたが、自然が無慈悲だということには同意します。ただ、人はこれまでの歴史においてどのように無慈悲な自然に対処すべきかという知識を蓄積しており、毒性を持った食物を避ける、食物をちゃんと調理してから食べるなどの対処で危険を避けています。また、街を形成することで外敵という無慈悲な存在からも身を守っています。自然の無慈悲に直接さらされているわけではありません。

経済性以外の理由で、新たなリスクを盛り込む必要性はあるのでしょうか?


世界の人口が70億を突破し,このままのペースでは21世紀半ばには100億を超えようとしてる。人口増加がこのまま進めば,食料が足りなくなることが懸念されている。100億の人間を抱える世界では,今以上に高耐性,高収量な作物が求められるだろう。特定の機能に特化した品種改良が可能な遺伝子組み換え技術がないと,この状況に対応できないのではないかと僕は思っている。

飢える人が出れば戦争や紛争が起こることは歴史が証明している。GMを受け入れるかどうかは,僕たちの子供や子孫が暮らす世界の平和に関係している,と考えるのは大げさだろうか?

GM肯定派の人がこのような議論を持ち出しますが、GMで食糧危機が乗り越えられるというのは誤った考え方だと思います。例え収穫量が10%増えたところで、人口の増加が止まらなければそれは焼け石に水です。食糧難の原因は、人口増加や政治的な問題であって、GMという打出の小槌で何とかできると考えるのは誤りでしょう。GMは対処療法としては一時的に有効かも知れませんが、原因を取り除くことはできません。問題を先延ばしにするだけです。人類はどうやって人口増加に歯止めをかけるのかということについて、もっと真剣に考えるべきなのです。

GMがもたらすのは食料問題の解決ではなく、一部の企業への利益だけでしょう。そしてその後には食の安全性と外来種の問題がついてまわります。問題とメリットを天秤にかけると、GMを使わないほうが良いと思いますがいかがでしょうか。