組換え作物反対派の主張する危険性に対する間違った批判に対する反論

組換え作物反対派の主張する危険性に対する間違った批判を見かけたので反論しておく。


1)遺伝子はあらゆる生物に含まれており、
他の生物を食べている以上、遺伝子を食べることは必然です。
今までも、ずっと食べてきて問題ないのですから、ナンセンスな意見です。

遺伝子を全て同列に扱うことがどれだけ危険だろう。遺伝子というのは2重螺旋構造で、DNAでは4種類の塩基が組み合わさって情報が格納されているというのは確かに共通だ。しかし、重要なのは遺伝子はその情報次第で性質が様々に変化するという点である。食べても(経口摂取しても)平気な遺伝子とそうでない遺伝子がある。そもそも遺伝子が全て同じ性質であれば、遺伝子の意味がないではないか。

プログラムに置き換えてみると次のように例えているに等しい。

プログラムはあらゆるコンピュータ上で実行されており、
コンピュータを使う以上、プログラムを実行することは必然です。
今までも、ずっと実行してきて問題ないのですから、ナンセンスな意見です。

この主張がコンピュータに深刻なダメージをもたらすウィルスを実行していい根拠にならないことは自明であろう。


2)3)上記のように、性質のよく調べられた遺伝子を使っています。
危険性があるような遺伝子(人間に効果のある毒を作る遺伝子など)は、そもそも使いません。
また、組換え作物も調べた上で、危険性の認められたものは開発中止になります。

危険性がないということを完全に調べ上げるのは不可能である。コンピュータに例えると、「このプログラムにはバグがない」と言っているに等しい。いや、むしろ生物のほうが複雑であるので、危険性がないことを証明するのは不可能だ。何をもって安全であるかということの定義も難しい。例えばほとんどの人には無害であっても、0.01パーセントの人にアレルギーが生じるかも知れない。世界中の人々を対象に調査をしたのか?人間だけでなく動植物は?微生物は?

そもそも、よく知られた遺伝子といえども、現在の科学ではその働きを完全に解明したわけではない。普段は何もしない遺伝子が、環境などの変化によって突如としてスイッチが入って動き出すということが多々ある。よく知られた遺伝子でもコンテキストによって働きが変わる危険性を孕んでいる。

従って、「よく調べられたから安全」という主張は受け入れがたい。


「可能性」を言えば、交配育種でも突然変異育種でも同じくらいあります。
むしろ、変化した遺伝子の数が多い分、
それらのものの方が危険性は高くなることは十分考えられます。
さらに、交配育種でも突然変異育種は安全性の確認すら、行われていません。

この点については半分同意。

交配育種はあくまでも自然の中でも行われる交配に基づいた手法であり、その遺伝子はもともとその植物の中に存在していたものである。交配育種はむしろ変化した遺伝子の数が絞り込まれると考えられる。

突然変異育種については同意する。だが、突然変異育種がOKだから遺伝子組み換え作物がOKという意見には同調できない。ここは両方共NGという選択肢を選びたい。


4)作物というのは、人間が手間暇かけないと育たない、弱い植物です。
自然界に種子が逃げたとして、雑草にまず負けてしまいます。
また、花粉が雑草と交配して、例えば雑草が除草剤に強くなったとしましょう。
しかし、特定の除草剤に強いだけであり、あらゆる除草剤に強いわけではありません。
また、雑草にコストと時間をかけて除草剤を撒くという行為が
それほど頻繁にあるわけではありません。
ですので、もともとの数が少ないわけですので、自然界の競争に負け、駆逐されるでしょう。

これは完全に誤った情報である。

例えば遺伝子組み換え菜種が繁殖しているというのは有名な話である。この例で挙がっているのは除草剤に耐性のある菜種であるが、なんとも逞しく生態系へ広がっているではないか。

この引用部分で危険だと考えられる意見は、自然界というカオスを考えるにあたり、強弱という二元的な概念を導入しているところである。○○に弱いから生き残れないという極度に単純化したモデルでは、自然界の動きは予測できない。むしろその種にあったニッチを見つけ出して生き残ったり、菜種の例のように既存の種と交配することで遺伝子が広がるという危険性もある。

自然界における種の広がりという観点では、これは構図的には外来種の問題と非常に似ている。いや、本来存在しない種が生態系に放たれて広がるという意味では、外来種問題そのものと言っていいかも知れない。

実は、筆者が遺伝子組み換え作物に批判的なのは、福岡伸一氏の著書「動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか」に感化されたという理由が大きい。生物の本質はダイナミックな動作そのもの(≒動的平衡)であり、遺伝子の働きはその動きの中のひとつのピースに過ぎない。遺伝子だけで生物の生長や特徴をコントロールできると思ったら大間違いである。

また、遺伝子組み換え作物には倫理的な問題が残っていると思う。安全性や生態系へのダメージなど様々なリスクを孕んだ遺伝子組み換え作物を、特定の企業の利益追求のために認めても良いのか?目先の経済性のために社会はリスクを犯すべきなのか?生態系のダメージはもとに戻すことができない。ひとつ間違えれば取り返しのつかない事態になる恐れがある。遺伝子組み換え作物がないことで人類が滅亡するわけではないので、慎重になりすぎるぐらいのほうがいいのではないかと思う。